充実の紅樹祭が閉幕
午後はフリーステージ4組によるダンス、歌、ピアノ演奏、コントが繰り広げられ、演技力の高さが発揮されていました。
音楽会では「新野コーラス」の方にも参加いただきました。全てのステージで素晴らしい歌声が披露されました。
閉祭式では校長から次の講評がありました。「音楽会最後の全校混声三部合唱『群青』の余韻が残っている。参観者の方から『合唱のレベルが高いですね』と評価していただいた」「本日に至るまでの企画準備では、幾度となく壁にぶつかったと思うが、それを見事に乗り越えてきた。素晴らしい学習活動の成果も展示されていた」「本番はタイムスケジュールどおりに進行された。司会や運営・ステージ発表の演者として、一人何役もこなす力も求められているが、3年生を筆頭によく発揮している。これは本校ならではのすごい力だ」「予期せぬこともあったが、それを見事なアドリブ力で対応したことに感心している」
下校していく生徒の表情はとても清々しいものでした。ご来場誠に有難うございました。
紅樹祭 学級タイム発表会
1年生「早木戸川の調査」
2年生「池プロジェクト」
3年生「新野を知ってもらい隊2」
各学年の「総合的な学習の時間」への取り組みを発表しました。2、3年生は前年度からの継続的な取り組みです。
第53回紅樹祭が開幕
令和時代最初の紅樹祭が開幕しました。開祭式では校長から次の話がありました。
(前略)さて、本校文化祭の歴史を紐解きますと、昭和42年11月2日(木)の午前中に第1回文化祭・学芸発表会が行われました。午後は普通授業、翌3日には新野地区運動会が行われていました。文化祭のスタートは新野中学校時代にさかのぼります。そして昭和45年5月1日(金)に校名が阿南第二中学校と改名され、文化祭が「紅樹祭」と命名されたのが昭和60年10月25日(金)のことです。翌二日目にはバレーボール学年マッチが行われていました。土・日開催となったのが平成15年からで10月開催でした。9月金・土曜開催になったのが平成24年から、昨年平成30年から土曜一日開催へとスリム化されました。
このように、昭和と平成の時代にも様々な変遷を経て、歴史を刻んだ文化祭が、いよいよ令和新時代へと引き継がれました。阿南二中になった昭和45年の全校生徒は132名、紅樹祭と命名された昭和60年は77名でした。今年は21名です。生徒や職員一人一人に対する分担や負担、責任は一時代前よりはるかに増大しました。これからの時代は能率よく合理的に、準備にかける時間を削減し、シンプルであり質も保てる内容であることが求められることでしょう。
そのような中、ここにいる生徒・職員は、ご参観の皆さんにも喜んでいただけるようにと、本番を迎えるまでの準備を週休日にも登校しながら、見事にやり遂げてくれました。(後略)